●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2025年3月11日火曜日

100%の安全はない。まず避難!

 震災後、海岸には、高い高い防波堤が各地にできた。内陸部から海が見えなくなった所も多い。
 この高い防波堤があればもう大丈夫。いや、待って。
 これまでも、この基準なら大丈夫と言う事で、堤防や橋、建物が作られて来ましたが、いつもそれを上回る災害が発生しています。
 震災対策工事が完了していても、地震や災害が起きたらまず避難!
 まず避難。忘れまい!
 

あの日から14年

 平成23年3月11日14時16分宮城県牡鹿半島130km沖合で、マグニチュード9.0の地震が発生。東日本の広域で、宮城県の震度7、東北地方で震度6強、東京や横浜でも震度5強となった。さらに、波高10m以上の巨大な津波が、太平洋沿岸を襲った。岩手、宮城、福島の東北3県を中心に大きな被害となった。
 震災後の3月、広島県北から、支援をスタート。昨年33回目の訪問をした。
 津波被災地では、元の場所には住めなくなり、住民の皆さんが今もバラバラに暮らされている地域も多い。我々が、訪問する時に、仮設住宅の同窓会のように集まって、皆さん同士で話をされている。そんな集まれるきっかけにでもなれたら、良いと思っている。
 福島第一原発による被害は、これまでとは違う被災だと感じました。いまだに、帰れる土地があっても、帰っていない地域がある。一方で、最近どんどん人が増えているように感ずる地域もある。でもまだまだ被災前には及ばないが。
 国道6号が通れるようになり、常磐道が通れるようになり、そして常磐線が仙台まで繋がり、利便性が高まっている感もある。
 でもまだまだ国道6号沿いは、寂しい風景も多い。
 除染土の県外処分も、全く進展せず、被災地だけの問題ではないのに、世の中の関心があまりにも低くなっていると嘆くばかり。
 嘆くばかりでは、何とら変わらない。
 今年も東北を,訪問します。できたら、岩手,宮城、福島3県を訪ねたいと思う。
 昨年は、能登半島地震の被災者のために、福島からも、支援物資を預かった。
 能登半島の皆さんには、まだまだ支援と手が必要です。
 心の元気を取り戻してもらうために、さとやま交流館は,走ります。
 みなさんの積極的なご意見などよろしくお願いします。

2025年2月8日土曜日

奥備後も雪景色

広島県と島根県、鳥取県の県境は1m超え。災害支援用ハイエースが置いてある奥備後 庄原市口和町でも、久々の60cm超え。ハイエースも,雪だるまに。
能登の被災地では、仮設住まいの中で、雪かきが必要になり、寒さも一層厳しくなり大変だと思います。次の支援は,どういうことができるか,検討中です。前柳生理事長に叱られそうです。考えとるばっかりじゃあダメじゃ。すぐに動けと。

2025年1月27日月曜日

さとやま支援米スタート

今年も、コメ作りの始まりです。
また、秋には能登へ持って行きます。さとやま交流米。奥備後の郷で寒風の中、荒起こしです。10日に降った雪が,やっと消え、晴れ間も見える。栄養たっぷり口和のモーモー堆肥をすき込み、土づくり。秋には美味しいコシヒカリを能登に持っていけますように。

2025年1月19日日曜日

あなたの笑顔が見たい

 1月17日中国新聞。
 さとやま交流館の活動が掲載されました。

阪神大震災から30年 その9

 高齢者施設のリスク
 高齢者福祉村のような高齢者対応のいろんな建物が、敷地内に集められた場所のシルバーマンションたるところに行った。水配りや何でも屋である。
 先ずマンションの入り口で地盤沈下のため、周りが下がって50cmくらいの段差。この段差がかなりひどく。元気な我々でも、よっこらしょである。
 高層マンションは、元気な高齢者ばかりで、普段はエレベーターがあり快適らしい。しかし、神戸と言う大都会直下でほとんど全てのエレベーターを強い揺れに遭い、ほとんどのエレベーターが点検するまで動かない事になっていた。私が行ったシルバーマンションは、点検優先度が低かったのか、未だに未点検、動かずです。
 普段は便利なエレベーターですが、地震にはものすごく弱い。
 低層の建物には、介護の必要な方が入る特別擁護老人ホーム。ここは、それなりに,介護士さんたちにより、なんとかなっているようだった。
 普通の高層マンションなら,まだ近所の若い人が、少しは助けてくれるかも知れないが、老人マンションでは、隣も高齢者。助け合うにも限界が。
 効率化も、普段は良いが、危機管理事象の時には、大きな足枷となる。1パーセントにも満たない、危機管理事象をどれだけ意識して、住まいを選択するか、行政も計画するか。
 ただ、その1パーセント以下の事象が起きた時、大きな後悔を感ずるのではなかろうか。
 大都市一極集中と大災害の問題は、地震でも、大雨でも語られています。効率良いコンパクトな町が被災したら、誰が助けてくれるのか,考えてほしい。

阪神大震災から30年 その8

 震災がら3週間が過ぎていたが、コンビニの中は、空っぽだった。道路がとおれず、災害支援などの車を通すために、その他の車を規制していたので、配送ができなかったのか。買おうにも店に無いから、やはり支援物資を配布するボランティア頼みだった。
 

阪神大震災から30年 その7

 避難所の近くの家の前で、茶色の雑誌の日本犬が紐を外した状態で、いつも同じ場所に座っていた。時々その前を人が通ってもおとなしく、何か寂しそうにしている。ボランティアの一人が余ったパンをやっても食べようとしない。近所のおじさんが通りがかりに教えてくれた。この犬は,あばあさんと一緒にその家に住んでいたのだが、地震の時におばあさんが救急車で病院に運ばれ、その日以来ここで、じっとおばあさんの帰りを待っていると言う。話しを聞いた私もボランティアの仲間も皆目頭を熱くした。
 なんとか元気に生きてほしいとボランティアのみんなが、毎日自分の食べものの中から、少しずつ分けてやった。

阪神大震災から30年 その6

 なぜボランティアが、いちいち配らないといけないんだろう。取りに来てくれたらいいのに。と,単純に感じモヤモヤがあった。
 現実はたいへんでした。皆さんの座り場所、寝る場所もはっきり境目が決まっているわけではありません。壁も金庫もありません。自分の場所を離れると他人に場所を少しずつ取られるんじゃ無いか、盗難に遭うんじゃ無いかと言う不安がありました。実際、盗難が起きていました。被災者の方ではなく外部から入ってきたのでは無いと思います。また、高齢者も多く段差の多い学校で移動そのものが困難な方もおられました。だから、みんななるべく自分の場所から離れないようにされていたのです。
 その話しを先輩のボランティアや被災者の方から聞いて、合点がいった。それからは、朝一番に感じたモヤモヤもなくなり、気持ちよく配布作業もできた。
 事情も知らずに勝手に被災者を怠け者のように考えてしまった自分を恥じた。

2025年1月18日土曜日

阪神大震災から30年 その5

 ある日は、自転車の配布を行った。
 朝、自転車の受入,配布を行う公園へ。
 定刻前に大型トラックが一台到着。荷台には、自転車が満載。
 神戸では、電車が全てストップ。道路も地下鉄陥没や高速道路倒壊など。移動の主力として自転車の需要が高まっていた。
 その状況を知ったボランティアの一人が、地元に帰った後、中古自転車の協力をお願いして、毎週トラック一台分を送っていた。
 到着予定時刻までには、続々と被災者の方が集まり、トラックから降ろすと直ぐに貰われていった。
 現地ニーズの把握と現地との連携、スピーディーな対応が大切だと思った。
 さとやま交流館でも、災害後は、現地ニーズの把握に先ず努めている。