●義援金・救援金の募集について
西城さとやま交流館の東日本大震災の支援活動はまだまだ続きます。
皆様の気持ちを被災地に届けたいと思います。
どうかこれからもご支援をお願いします。
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2011年2月28日月曜日

三次桜守の会/さとやま交流館

この桜の植樹は「倉迫 健」さん(三次桜守の会)の15年来の長い夢でした。
NPO法人 さとやま交流館は「景観づくり・環境保全・まちづくり」の活動として
全面的に参加協力しています。
この活動には、三次市内の有志のみなさん、広島市、尾道市、庄原市…多くの方々の、
参加協力をいただき、活動を展開しています。
また、乳幼児〜ご高齢(80歳以上)の方まで、巾広い参加協力をいただいています。

ご協力ありがとうございます。
=三次 桜守の会・NPO法人 さとやま交流館=

2011年2月26日土曜日

三次 桜守の会

=春風に誘われて…サクラサク=
桜の木を育てて景観づくりです。昨年3月、植樹した桜に施肥作業です。
大きくなって咲く頃を想ってください。地球に優しい贈り物です。
昨年、今回の参加者名簿………等、タイムカプセルを埋設します。
太暉くんもお母さん、倖司(弟)くんと参加しましたよ。最近、太暉くんはご機嫌ナナメです。
午前10時から正午までの作業です。ユリリンのご協力で、牛丼の昼食です。

2011年2月19日土曜日

さとやま交流館/橋田幸子さん




=あなたは、この「瞳」と向きあえますか?=
橋田幸子さんの記念講演会を開催しました。
2004年、イラクで凶弾で倒れた戦場ジャーナリスト、橋田信介氏のこと。最後にビデオが流されました。各国の戦場ジャーナリストが戦場で銃弾に倒れる寸前まで撮影したものでした。
その中に「橋田信介さん」もおられて 特別に編集されたものだという事でした。


「俺が死んでも 涙なんか流すなよ! 好きな場所で死んだのだから本望でしょう~と言う位のことは言えよ!!!って家内に言いましたら、何年一緒に暮らしたと思うの。それくらいの事は分かってるわよ。……って言われたよ。」という場面が写し出されました。テレビで最初に流れた「橋田幸子さん」の気丈で涙なし会見は……
前夜 夕食をご一緒させていただいた時 『幸子さんは誰もいない所で 涙が渇れるまでなきました!って!!』

人 それぞれ『覚悟』を持って生きて……

考えさせられた一日でした。

橋田 幸子さん ありがとうございました。

2011年2月16日水曜日

さとやま交流館/雪あそび

=楽園という名にふさわしい 銀世界=快晴で風もなく、外気も10℃を超えました。
館内清掃で汗を流した後、太暉くんたちと雪あそびです。

2011年2月14日月曜日

さとやま交流館/

楽園という名にふさわしい 銀世界=
今日も里山は雪化粧、糸を引いて休むことなく降り続けます。
除雪してない所は50cm以上の積雪があります。
真っ白い雪は汚いものを全て隠してくれ、春の草花を異常低温から守ってくれます。

2011年2月12日土曜日

さとやま交流館/雛人形

奥備後は吹雪です。
太暉くんと「さとやま交流館」の掃除です。モップを持って広い館内の掃除です。
雛人形を飾り、「懐かし あそびフェスタ・ひな祭り」の準備です。
外は春遠い吹雪です。

2011年2月11日金曜日

辻塚の丘/太暉くん

念願の井戸、用水路の工事が終わりました。
素堀の水路でしたが、U字管を埋設。
井戸の水深は2メートル、昨年はブルーベリーの撒水に苦心しました。
今年はブルーベリーの苗木を中心に100本植えます。鳥獣被害対策に取り組みます。
今日は太暉くんとブルーベリーの苗木五本 植えました。
太暉くんは二歳ですがNPO活動の貴重な戦力で同志です。

2011年2月7日月曜日

さとやま交流館/太暉くん

大変!大変!!太暉くんが雪に嵌まって身動き取れません。
さとやま交流館は除雪した雪塊が敷地の片隅にまだ70cm以上あります。
今年の雪は、暮れから1ヶ月 毎日降り続け、低温が続き、大変でした。

2011年2月6日日曜日

さとやま交流館/夕陽

現在17時30分、陽が沈みます。
日が長くなり、三寒四温を繰り返しながら春が訪れます。
鷺神社の境内にある古紅梅の蕾も膨らみ、今月末には咲き始めます。

2011年2月5日土曜日

さとやま交流館/芽吹き

ここ2日、気温も10℃を越え辺りの雪は消え失せました。
雪を被っていたビオラ……が色鮮やかになり、ほのかな香りを放っています。
里山の春は、もうそこまで来ているようです。足踏みしないで早く来い。

2011年2月1日火曜日

さとやま交流館/除雪作業

外気は−1℃、「さとやま交流館」の除雪作業です。
三次から除雪機持参で応援が入りました。10時〜15時の作業予定です。